寺方提灯踊りは、守口市の旧南寺方地域で江戸時代から続いている郷土芸能です。
その発祥年代は定かではありませんが、文化・文政の頃(1804〜1830)には、すでに盛んに踊られていたと伝えられています。
もとは、各地でも広く行われていた孟蘭盆(旧暦7月13日〜16日の間)
の時に精霊を慰めるために、新盆の家を回って仏前や庭先で踊っていた盆踊りから変化してきたものと思われます。
河内音頭にあわせ太鼓を使った囃子と、片手に提灯を持った独特の踊りは、全国的にも珍しいもので、一説には、文化文政期の百姓一揆の勝利の踊りであるとか、幕府の許しを得られないまま「樋」を築き、処刑された庄屋喜左衛門の遺徳を偲ぶために始められたという説もあります。
また、この踊りに参加できるのは、一子相伝、家督相続者のみであったという説があります。
この提灯踊りも、第二次世界大戦が始まる頃から戦後しばらくは中断されていたが、地元において復活の声が上がり、幸い戦前からの踊り手であった二人の古老の指導を得て、練習に練習を重ね、これを後世に伝えるため、男女に門戸を開放して昭和46年に保存会を結成。
近年は毎年7月に守口市駅前において、提灯踊り大会を開催し踊り継がれている。
しかし、音頭、囃子については、それを継承していた古老がいなかったため、やむなく河内音頭のなかでも最も古い流れを汲む交野節を基本として復活させ、今日では寺方節と称している。
寺方提灯踊りは、守口市の他の地域には見られない盆踊りの形態を今なお継承してきており、地域的特色を示す極めて貴重な郷土芸能で、平成12年(2000年)12月、 市指定無形民俗文化財(第一号)に指定されました。